2016年7月20日水曜日

極秘プロジェクト!?

トメアス滞在中です。

さて、これは一体なんでしょう?

アサイーに寄り添うように、アンテナが乾季のアマゾンの空にそびえ立っています。


これぞアグロフォレストリーをICTでスマート化しようという夢のプロジェクトの様子です。

現地パートナーの息子もデータ収集に余念がありません。



アグロフォレストリーは複数の多様性産物を同時管理せねばなりませんが、
各生産者の長年の勘と職人技に頼られるため後継者を育てるのが大変です。

そこで発案したのがIT技術の導入によるスマート化作戦!

天候、温度、湿度、土壌栄養の情報などをドローンの空撮映像と組み合わせ、
データ化して最適な条件をプログラム化するのです。

今後、後継者問題だけでなく生産性の向上や、規模の拡大に大きく貢献するでしょう。


森林農業を世界中に広げるために必要な技術革新なのです!


                       *すくすく育ったマホガニー



いわば車の両輪とも言えるジュース工場も年々拡張し、生産量が増えています。



   そして工場の壁には、我らの誇り『川澄のメッセージ』が飾られています。



                   嬉しいことですね。

2016年7月13日水曜日

半生を考える

6日に誕生日を迎えました。

マラソンで言えば折り返しポイントを過ぎて、後半戦をうまく戦えるか、想い通りのゴールが切れるかどうかを決める正念場というところ。

漠然と「畳の上では死ねない!」と思い描いたこれまでの半生。
いい機会なので思い起こしてみます。

自分>他人

小さい頃から感受性と正義感だけは強く、一方でエリートは大の苦手だった。
偉い人が作る一方的なルールは無性に嫌い=従いたくない。
いわゆる「純粋でへそ曲がり?」なところがありました。

自分らしさやオリジナリティを強く求めて、色んな衝突も。。
親や友達、先生や先輩。。皆さんに迷惑をかけました。
この場をお借りしてお詫びします。

でもそれをエネルギーにしていたといいますか。。そんな20代だったように思います。

佐野元春の「SOMEDAY」。
特に〜手おくれと言われても 口笛で答えていたあの頃〜というフレーズが好きで、
いつも口ずさんでいたなぁ。

反骨まではいかないけど、正しい事なのに世間体を気にしてできない!的な
風潮やベルトコンベヤー型の人生は送りたくないと。

心はあの頃のまま、気がつけば体は55歳に。

自分≦他人

自分の理想に生きてきたつもりが、30代に稲盛さんの利他心に心動かされ、
自分の中にも「人の為に役立つエネルギー」があることに気付きはじめました。

ある事件が人生の転機を作りました。
前職で出張中、アマゾンの財産を盗んだ日本人!と大騒ぎになったのです。
アマゾンのど真ん中でまさに孤立無援状態。

そんな私を救ってくれたのがトメアス日系コミュニティーの人々でした。
何の利益も無いばかりか、私をかばう事は自分たちが糾弾されるリスクが大きいなかで、
ブラジル社会を敵に回して戦ってくれました。

日本人として入植し、80年近い苦闘の末にやっと手に入れた信用を失いかねないにも拘らず。

この異次元体験で今までに無い大きなエネルギーを感じました。
苦労した人こそ優しくなれることも彼らから学びました。

「SOMEDAY」と思い描いた社会に、地球の裏側で出会うとは。。運命かもしれません。

そんな彼らが創り上げたアグロフォレストリーを発展させる会社を創ろう!
・・・と思い立ったが吉日。40歳になっていました。

自分<社会

あれから10年。
がむしゃらに働き、多くの支援者に支えられ、まずはアマゾンフルーツ、アサイーが有名になり、
上場も出来ました。

少しはトメアス社会に恩返しが出来たかと思うのもつかの間、右肩上がりの業績が一転、
市場の減速と原価の高騰で苦戦を強いられています。
しかしこれは成長過程で必ず通る踊り場なので乗り越えるしかないのです。

アグロフォレストリーの中でもアマゾンフルーツのマーケティングは全て市場開拓型のため、
直営店やブランドマーケティングを駆使して自ら市場を創出していきます。
クプアスやピタヤなど、他のフルーツも徐々に手応えを感じるように成長してきました。

一方でカカオが大手チョコレート会社に採用されました。
森を作るアグロフォレストリーの付加価値が一般商品で認められたことは大きな成果です。
今後この分野を大きく発展させたいと思います。

自分から離れ、他人、そして社会に働きかけていく事は、
それだけ厳しい競争や批判にもさらされなければならないという事を実感しています。
ましてや社会の公器としての責任があります。

ここからの10年は理想と現実のギャップを埋める大切な時間。
世界中にアグロフォレストリー商品が広がる日まで、後半戦の挑戦です。







2016年5月23日月曜日

アサイーエナジー10周年




本日、5月23日はアサイーエナジーの誕生10周年です。

砂糖や香料でごまかさない生ジュースをどこでも便利に買えるように、真の「天然のサプリメント」をコンセプトにデビューしたのが2006年。
キャップ付きのボトルに入った、現在でも再販はないのかと問い合わせがくるほど伝説の商品です。

フレッシュさや風味、そして一般的に熱に弱いとされるビタミンが壊れないように加熱しすぎない殺菌にこだわり、通電させて殺菌する「ジュール殺菌」という技術を飲料業界で初めて採用し、無理を言って委託工場に導入してもらいました。

フルッタはジュースバーから始った会社なので企画やマーケティングは自分たちで行いますが、このジュースが誕生したのはフルッタに賛同してくれた当時の工場の皆さんの協力があってこそ実現したものです。

私たちが10周年を迎えられるのはこの方々の協力のお陰です。
本当にありがとうございました。

デビュー以来、当商品は生ジュースと変わらぬ品質が評価され、300円という値段にも関わらずじわじわとファンを広げていきました。

値段は高いものの直営のジュースバーよりかはお得な値段であることや、わざわざお店に行かなくてもスーパーやコンビニで購入できるというメリット、一般的な商品とは中味と濃さが違う生ジュース品質であることを謳いました。
当時飲料は120円~150円でも割高だった時代でしたが、突然300円にもなる商品が誕生したのは業界の中ではとても挑戦的なことでした。

一方で当商品は流通に耐えられる最低限の殺菌しか施してないので冷凍保存が必須であり、倉庫から出荷する時点で解凍をしはじめ、店頭では冷蔵販売という面倒くさい工程が必要でした。

この手法は業界ではフローズンチルド物流と呼ばれ、和洋菓子の分野では一般的でした。
飲料ではおそらく当社が初めてで、画期的なもとのして扱われました。

その後徐々に販路も広がり、販売量が増えた関係で2010年に現在の筒形の容器であるカートカンに変更しました。
殺菌方法も変わりましたが、冷蔵品質、砂糖・香料・着色料・保存料不使用の考え方は今でも継続して貫いています。

このカートカンの工場は当時冷蔵商品は扱っておらず、私たちが理想とするフレッシュジュース品質に近づけてもらうために徹夜の連続で会議やテストを行ったのを昨日のことのように覚えています。



テスト製造の際に夜通しで工場側と折衝する当時の開発、業務のメンバーに「できるまで帰ってくるな!」とゲキを飛ばすなど、フルッタ品質を守るための凄まじい奮闘もありました。

皆の努力の甲斐もあってカートカンの商品が完成したお陰で量産できるようになり、価格も下げる事ができました。

あの当時の商品化に対する情熱は今の苦労とはまた違った、はかり知れないパワーがありました。
工場の皆様の共感と尽力に感謝したく思います。

しかし、何よりもお客様のご支持があってこそ10年間愛飲されてきたのだと思います。

お客様の健康をしっかりとサポートできる程の原料を使用して良い商品を作り続けること。
ごまかさず、当たり前の事を当たり前にするブランド、それがフルッタフルッタです。

カートカンの次はどのように発展していくのでしょうか。
よりフレッシュに、より本物に近づくための企画が進行しています。

未来のフルッタフルッタにご期待下さい。