2018年4月4日水曜日

真の友に贈る

ポルトガル語で友人といえば『アミーゴ』。

誰もが人生の中で出会うもの。
その中で、生涯の、と言える出会いがあると思います。

私にとっては Sr.Ivan Hitoshi Saiki に他なりません。

日系ブラジル移民の2世としてパラー州トメアスで生まれ、18年間CAMTA(トメアス農協)専務理事としてトメアス社会やアグロフォレストリーの発展に尽くした男です。

その彼が今年度の組合選挙で選出されず、退任する事に。
組合理事は3年ごとに実施される選挙で決定されますが、彼の落選は青天の霹靂でした。

結果を知った直後、頭が真っ白になり、受け止められませんでした...
運命のいたずらにしては度が過ぎるし、あれほどの功労者がどうして?
共に戦ってきた同志を失ったショックは大きく、言葉にすらなりませんでした。

そんな折、奥さんのFBに彼の近況写真がアップされていました。
アミーゴに囲まれた彼は、どこか解放されたような安堵の表情で笑顔を見せながら、
「心配するな..これで良かったんだ」と語りかけているようでした。

奥さんの優しい気遣いを感じながら、彼との出会いを書かずにいられなくなりました。

18年前の2000年、クプアスからチョコレートを作りたいと訪れた私を一番警戒し、「苦労したトメアスの人々を儲け話で惑わすような事は止めてくれ!」と喰って掛かってきたのが若かりしイバンでした。

捨てている種子をリサイクル出来る上、経済効果もある提案なのに猛反対でした。
幼少時からアマゾン移民の過酷なサバイバルを見てきた彼にとって、苦労を知らない日本人にアマゾン産物を扱うなど出来るはずが無い、いい時だけ現れて、無理とわかればすぐに見捨てて逃げ去ると思われたのでしょう。

この時期、潰れかけていた組合をイバン、フランシスコ ワタル坂口、ミチノリ コナガノの2世三羽烏が再建に立ち上がり、希望と不安が交錯していた雰囲気でした。
当時の私は無鉄砲な熱意で何とかしたいと想いが強く、イバンと一番衝突していました。

転機は突然現れました。

ブラジル滞在中、商標問題から私はBio Pirates(アマゾン泥棒)と糾弾され、連日テレビや新聞で騒がれる大事件が起きたのです。

困ったのは同様にパートナーとして動いているトメアス農協までが私を協力しているのは「国賊だ!」と激しく糾弾されたことです。

その時はさすがに諦めようと決心しました。
日系人が70年かけてブラジルで築いた地位を崩すことなどできません。

ある朝、事務所に来てみると、イバンが電話でメディアとやり合っていました。
「あの日本人は間違っていない!」「むしろアマゾンの経済的発展のことも考えているんだから俺たちは応援する!!」「メディアは真相を伝えていないじゃないか!」

最初は耳を疑いました。
あれほど私を攻撃していた彼が叩かれまくっていた孤独な私を助けてくれていたのです。

自分の立場が悪くなるリスクを承知の上で弱き者を助ける。
これは決して簡単な事ではありません。

苦しみを知った人の「本当の優しさ」を感じた瞬間でした。
この時を機に彼を生涯の友と自覚したのです。

クプアスは一旦諦め、彼の推薦するアサイーを手がける事にしたのもこの時です。

それ以来、彼と私は無二の親友となり、幾多の苦労を共に超えてきました。
タリーズコーヒーの創始者とテレビ取材を受けたのも良い思い出です。

やがてアサイーの知名度が急上昇して輸入料も急拡大し、CAMTAそしてトメアス社会も潤いました。
フルッタは上場を実現しイバンと二人でベルを鳴らしました。
あの感動は一生忘れません。

その後のブーム崩壊も有り、苦境の時はこれがアマゾンビジネスの難しさ、次世代の為に必ずやり抜こうと励まし合い、一緒に悩み、歩んできました。

彼との出会いが無ければCAMTA/FRUTAの歴史は存在しなかったかも知れません。

常に正義のために、嘘をつかず、自分を守らず、弱き者を助けるイバンは、私がそうだったように誤解される事も多かったと思います。

でも私は断言したい。
彼以上にトメアスを愛し、CAMTA再建に貢献した男を知りません。

この18年間、特に直近3年は一羽烏での組合運営、さぞかし心労が多かったでしょう。
日本市場が落ち込み、掩護射撃出来なかったことに悔いが残ります。

私たちは彼の残してくれた軌跡を、新生メンバーと立派な道に変え、
彼との夢を実現させていきたいとおもう。

アマゾンからアグロフォレストリーで世界を変える。

生涯のアミーゴに、心からObrigadoを贈りたい。

Mack Nagasawa